ANAのこんな変化

一橋通りを下っていくと、間もなく両側に東京商科大学のキャンパスが広がる。
商大は神田にあった校舎が震災でダメージを受けたのを契機に郊外へ移転することを計画し、Tyが開発した小平と国立へ移った。 大学町には他に桐朋学園、国立音大付属、国立高校、都立五商等多くの教育機関が集積しているが、学園都市の名を象徴するのは何といっても商大の存在である。
国立大学町の住宅区画は二〇〇坪で、南北に長い敷地である。 そして背割りになった二四区画が一つの街区を構成し、三間街路で囲まれながら整然と配置されている。
配置が乱れるのは、一橋通りに面した区画と、朝日、富士見の両放射道路に面した区画である。 ここには商店等を並べることを想定しており、区画は住宅の二分の一から三分の一ほどで、しかも間口を狭くして配置している・一橋通りの入口、駅前広場に面した角にはH土地株式会社の本社があり、Ty自身も国立に自宅を構えた。
このことからも、Tyが同時期に手掛けていた一連の郊外住宅地開発でも最も国立に力を注いでいたことが窺える。 これが大学通り誕生小史である。
以来大学通りはほぼTyの計画に沿って発展してきたといってよい。 通りに面しては商店、飲食店、事務所が並んでいるし、並木は成育し学園都市にふさわしい景観を与えている。
折に触れ、通りは祭りや、大売出しや、ガレージセールの会場として使われ、文字どおり町のシンボルとなっている。 もちろん市民が好んで歩く散歩道でもある。
ただ、京王線だけは延長されなかった。 お陰でゆったりした道路はそのまま残ることになったのだが。
大学通りの悩みと理想しかし、大学通りにも悩みがある。 自動車と自転車の駐車問題である。

市域が狭いといっても皆が徒歩で駅に来れるわけではない。 自動車でやってきて、大学通りに駐車する者がでてくる。
もっと深刻なのは自転車の駐車である。 一九七九年には駅前の放置自転車台数が全国ワースト二位と記録された(一九七九年二月総理府交通安全対策室)。
駅北口、南口両側で五五〇〇台を数えたのである。 さっそく市では自転車安全利用促進条例を制定して対策に乗り出したのだが、なかなか厄介である。
自転車は手軽さ、便利さが身上だから、駐車施設をつくっても、目的地から遠ければなかなかそこへ置こうとはしない。

誰もが楽しめるANA特集です。

近頃JALに注目が集まっています。

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